どうも、永田です。
では、CMC通信を始めていきます。
今回のテーマは「印象を左右する声の出し方」ということになります。
これをとる動機なんですが、完全に僕の経験です。去年なんですけど、オンラインコミュニティ、とある場所で言われたんですね…
【無愛想】
だと言われた、初回の印象が。
僕としてはちゃんと接してるつもりで、話してるつもりだったんだけど、相手に受けた印象が「無愛想」。
面と向かって言われたわけではなく、その方は情報発信者だったので、定期配信してる音声の中で題材として、
「あ、これ僕のことだな」
ということで、正直な印象を伝えてくれたということです。
もちろん、その後、「最初の印象とは違って、好印象になった」とのことですが、(ぼくは)丁寧に接するタイプなのでそういうのを評価されたんですけど、結局、初っ端の印象は無愛想だということで、 ショックを受けた、と。
しばらく、それが頭に残ってたんですけど、最近、取り組んでみたら、
「やっぱり、(愛想がいい人は)こういうところが違ったんだな」
ということで、それをシェアしようかなと思います。
・・・
で、結局、愛想がいい声の出し方ってどういうことなのかと言うと、基本は、
【ハキハキ話す】
この愛想のいい声の出し方・ハキハキ話す話し方のコツをネットで調べてみると、3つぐらいコツがありまして、それをまずお伝えすると…
1番目:1 音をはっきりと発音する
2番目:言葉の意味を意識する
3番目:音の高低差をつける
ということですね。
【ちゃんと話す】
ということです。
「大したことないな」と思ったんですけど、(自分が)やれてないということが練習・実践していく中で気づいた、と。
これがどういう違いなのかなと思いますが、日本人だったら日本語でちゃんと話してるし、通じるから、(ちゃんと話すのは)それはあんまり関係ないんじゃないかとふと思ったんですけど、よくよく考えてみると、
【習字に似てる】
字を丁寧に書くかどうかに似てるんですね。
習字を習ってる人と字がきれいなんですけど、何をみて綺麗なのかというと、「止め」や「払い」がちゃんとしてる。
で、字が汚い人は、止めや払いを雑にやってる。
だから、読めるんだけど、字は美しくない。丁寧に書かれてないようですね。
だから、話し方も、日本人なので日本語を話すし、通じるんだけど、それをどう話すか・丁寧に話してるかどうかで「愛想が良いか・悪いか」という印象を決めてるんじゃない?
そういう差なんじゃないか?
今回、取り組んでみてはっきりしました。
字の止めや払いに当たるのが、「発音」とか「抑揚」をちゃんとするということです。
高低差もはっきりつける、というのが丁寧に声を出すこと。
だから、印象も良くなるということなんだ、という理解を得ました。
・・・
じゃあ、どういう時にその差が出るのか?
どういう時に練習・実践できるのかということで、僕が気づいた点は3つあります。
1つ目は、【挨拶】の時ですね。
普通に挨拶はすると思うんですけど、会釈で済ませてませんか?
同僚とか職場の顔見知りの人に会った時に、会釈だけで済ませてないか、と。
僕もよく接する同僚とはちゃんと声を出して挨拶するんだけど、一緒に仕事をしてるわけでもないんだけど顔見知りにすれ違いに挨拶する時に会釈で済ませてる場合が多かったし、向こうも会釈で済ませてる場合があったんですけど。
そこをちゃんと言うと、感じが違うんですね。
声を出してちゃんと挨拶するのを、何回かですけど慣れてしまったら、逆に、「無愛想だな」という印象を逆に持った。
ということなので、この
「おはようございます」とか
「こんにちは」
を会釈で済ませるのか、声を出すのかというところで愛想が違うし、そこら辺を意識すると感じが変わってきます。
・・・
2番目は、【音読】です。
これは日常生活であんまりないんですけど、僕は子供が小さいので絵本を読み聞かせ することが多いんです。
この読み聞かせしてる時に妻から突っ込みがある。
「抑揚がない」とか
「棒読み」
だと言われてたんですけど、はっきり(原因が)わからなかったです。
で、今回、ハキハキするのを意識したら、要は【感情移入】すること。
そのキャラになりきる。そうすると、抑揚が入るので声の調子が変わるし、モードが変わる、と。
これは最初、抵抗があったんですけど、恥ずかしさを振り捨ててやってみると、意外に
「(抑揚をだすのは)こういうことなんだな」
ということで、調子が変わる。
だから、音読です。
絵本は読まない人が多いと思うんですけど、例えば、小説でセリフを読んでみると、棒読みになると思うんですね。
コミュ力が高い人とか ハキハキした人は、ここら辺をちゃんと言える。なりきって感情を込められるんだけど、多分、コミュ障とか口下手の人は棒読みになってると思うので、そういう練習をするといいと思います。
・・・
3番目は、【家族と話す】時です。
家族は気のおけない人たちなので、通常は。だから、気を抜いて会話するし、向こうも気を抜いて適当に話しかけてくるわけです、適当に。
家の外では絶対出さないような調子のしゃべり方になるんですね。
油断してしまうんですね。
でも、妻を観察すると、子供と遊ぶ時は切り替えて遊んでるんです。
楽しんでる時間になるので、感情を込めて、相手を楽しませようということで、僕・夫に話しかける時とは全然違う調子で話していた(苦笑)
でも、僕は子供と遊ぶ時にはいつもの調子なんです。
気を抜いて家族と話すような感じで話してたので、油断してたのは僕だけか、ということを気づいきました。
・・・
じゃあ、起きてから寝るまでずっと(ハキハキ)やってなきゃいけないのか?
というと、そういうことじゃなくて、
【モードを切り替える】
ということですね。
例えば、接客業の人は、
「お客さんと話す・接客する時のモード」
と、例えば、
「店の裏側に入って同じ店員同士で雑談する時のモード」
と違うわけですね?
こうやって切り替えてるわけで、だから、コミュ力高い人も常日頃からハキハキ・元気よくやってるわけじゃなくて、必要に応じてできてる、と。
で、コミュ障の人はそれが家の外・家の中ところ構わず、同じ調子・1本調子だから、そこら辺が切り替えができてない。
だから、
【ハキハキモードを一瞬でもいいんで出せる】
【必要な時に必要に応じて出せるかどうか】
というところで、
「その切り替えがパッとできるか?」
が印象を作る。
あまり疲れないところで、ハキハキ モードをちゃんともつ。
「ありのまま」を勘違いしないわけです。
ずっと「ありのまま」というのは、逆に、不自然なので。
ハキハキすべきところで、できるかどうか?
そういうところを意識すると、愛想の違いに繋がってくるのではないかというのが、最近気づいたことなので、シェアしました。
では、今日は以上になります。
ありがとうございました。