どうも、永田です。今日のテーマになりますが、「コミュ障は何と戦っているのか?」というテーマでお話ししようと思います。
で、あなたも「コミュニケーションを上手くなろう」「人と仲良くなろう」と努力してることだと思うんですが、実は戦ってしまっていたりしませんかね?っていうのが今日の話です。戦ってるとしたら、(言葉の定義的に)「仲良くしよう」の真逆なんで、マイナスですよね。
コミニケーションで緊張したりしている人は、その緊張と戦ってるんだけど、それ相手と戦っているってことになって、敵対しちゃってるんですよ、無意識のうちに。だから、うまく行かない。っていうのがベースのところでありますね。
それが会話の足を引っ張る理由。
あと会話力を上げていくことが必要なんですが、「敵と戦っててはいけませんよ」という話です。
この【緊張】があると、何が余計に足を引っ張るのかと言うと…
緊張してるだけだど、「動きが硬いなぁ」程度でいいんだけど、その緊張から「余計な感情」が生まれてるっていう。「いらない敵」を作り出してしまってるってのが今日の話の確認になります。
緊張してるだけなんだけど、実はその無意識で、
【自分を正当化する】
というか、守るために、正当化によって新しい敵が出てしまっていますよ、という話です。
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僕の経験をシェアさせてください。
よく覚えてるんですけど。僕は大学に勤めてていろんな研究室を何回か異動してるんですが、以前の職場に「同僚」がいました。彼は別に人間的に悪いわけではないんだけど、性格的に合わんですね。テンションが高くて、性格が合わなかった。彼自身はいい人間なんだけど、「ちょっとねー(苦笑)」みたいな感じでした。
で、ある時、仕事中に「奥さん」が研究室に来たんですよね。
その時は学生部屋で仕事してて、学生さんが(関西なので)おしゃべりが過ぎるんで、「うるさいな」と思いつつ、距離を取ってた。そこにその同僚の奥さんが突然来るんですね。前にも来たことはあるのかもしれないけども。
知り合いの学生がずっと喋って…1時間頃喋ってるんですね。
突然来て、そんな見知らぬ女性がきて、どうすればいいかわからない。しかも、仕事中で、締め切り前でイライラしてたんです。しかも、もう1時間喋ってるんですから。すぐ帰るわけではなく、学生とずっと話してて。
僕は(帰宅)時間になったんで、会釈だけして帰った。
何だったのか(そういう態度をとった理由は)今でもわかんないんですけど。でも、今だったら余裕があるんで、自分から挨拶して、軽く雑談でもしてたんですけど、その当時はまだ(コミュ障を)引きずったんで、緊張した。突然見知らぬ女性がきて。
(学生たちの)話の中でどうやら「同僚の奥さんだった」っていうのがわかったんです。その緊張とかもどうしようっていうか動揺して、
「こっちは仕事中なんだよ!」(と逆ギレ)
っていうか、「迷惑だな」っていう【敵愾心】が出てきたんですね。同僚の奥さんと戦ってる感じになっちゃったんです。もちろん、心の中で。別に何か行動に起こしたわけではないんです。イライラしてた。
多分、伝わってたんじゃないかな?
背中を向けて話に入ってこなかったんです。奥さんは、(ぼくが)コミュ障とかそういうのとは全く知らない感じだった。でも、察知して、挨拶に来なかったんじゃないかなって。だから、僕が仕事に集中して、締め切り前でイライラしてて、しかも緊張でしてるのが、オーラが背中からでんじゃないかなと思います。
・・・
人によってここら辺は性格によって全然違う感じになるとは思うんですけど。だから、コミュ障だと「恥ずかしいな」と思って、おどおどしている、と。恐怖してることに変わりはないですね。だから、「近寄りがたい」ってオーラは多分出ると思うんです。そういう感じ。
だから、緊張すると、【幻の敵】を作り出してるんですね。
脳内で、その同僚の奥さんが脅威で。生命の危機にさらされてるわけじゃないんだけど、「敵」と認識して、それで「近づかない」という行動選択を脳がそうさせていたわけですね。
緊張すると、どうしてそういうメカニズム働くのか?と言うと、これは勉強熱心な人は知ってると思うんですけど、
【ホメオスタシス】
ですね。「恒常性性維持機能」と呼ばれてる。
脳って何十万年前から進化してないと言われてるんですけど、昔は洞窟で暮らしていた。その時代から考えると、洞窟の中に引っ込んるのが1番いいですね?見知らぬ人物はそれだけで「危険人物」。命の危険があったわけです。なんで、近づかないように敵と認識して、逃げたほうがいい、と。
そういうのが現代、何万年も経ってる現代でも同じような感じで緊張してる。故に、相手を敵と認識させるような機能はあるわけですね。これは「人見知り」とか「初対面が苦手な人」一般じゃなくて、恐怖心一般に言える。
例えば、今、食事中だとまずい話なんですけど、「ゴキブリ」を恐怖するのと全く一緒ですね。
ゴキブリ…ゴキブリというのはなんなので「G」と言いますが、本当の恐怖じゃないんですね。Gに襲われた人が死んだってことほとんどないですよね?
だけど、日本人は本能的に恐れているわけですが、「日本人全員」かと言うと…
例えば、長野県とか東北の人・北国の人はGを見たことがないんで、Gは怖くないんですね。僕の身近に長野県の学生さんがいたんですけど、 沖縄で一緒に出張して研究してたんですけど、Gが出てきた。足元に G が出てくるんです、沖縄だから。そしたら、
「きれいだな」
っていう感想になったですね(笑)むしろ、近づこうとしたぐらいなんで。Gだから怖いっていうのはそれは「刷り込み」なんですね。条件反射になってる、と。
本当は怖くないです。
飛び上がったり、立ったりくらい怖いのが一般的だと思うんですけど、実際はそうじゃなくて。
例えば、ゲームで G を捕まえないと死ぬデスゲームがあったら、ほとんどの人が手づかみすると思うんですね(笑)最初、嫌な気持ちになるけど、100回ぐらいとかしてたらもう何も感じなくなると思って。人間はそれぐらいは適応能力がありますから。
・・・
何が言いたいかと言うと、その幻の敵を作る恐怖心に打ち勝つにはどうしたらいいかと言うと…
【行動を積み重ねる】しかないんですね。
そうやって怖くないよって言うのを脳に刷り込ませるとか、偽の恐怖は消えるまで行動を積み重ねましょう、と。
初対面もいつも会話すると結構慣れますんで。
僕もある時期、ビジネスの懇親会で毎月、初対面の人と会話する時期があったんですけど、1年間で毎月見知らぬ誰かと会ってると、初対面でも慣れるから。最初は恐怖でしかない。空間が歪んで感じられるぐらいの動揺があったんですけども(苦笑)最後の方は、平然としました。
というわけでも、コミュ障が戦っているのは、「脳が作り出した幻」です。
偽の恐怖心を作り出して、それと戦ってしまっているんですね。それを認識した上で、その恐怖を本当に乗り越えるためには「行動を積み重ねるしかない」よねっていうのが、今日のお話でした。
改めて、行動の重要性を再認識して頂ければなと思います。
では、以上になります。
ありがとうございました。