どうも、永田です。
今日は、メルマガ読者さんから質問を頂いたので、それに関連する話をしようと思います。
詳しい質問の内容は伏せるんですが、大まかな話としては【メール講座のあるトピック】に関する質問でした。
具体的には、【感謝をもらうエクササイズ】。
メール講座の5話あたりの話だと思います。
「感謝をもらうエクササイズ」を覚えている方はもちろん分かると思うんですけど、要はコミュニケーションって価値交換だよねっていう話です。
だから、相手が喜ぶ価値を与えて、それで感謝をもらう、そういう循環。
会話も価値交換みたいな気持ちのやりとりが奥底にあるわけですから、そういう価値交換だとみなしてるわけです。
そのための簡単なエクササイズとして、「感謝をもらう」というのは非常に効果的なエクササイズとしてお勧めだと思います。
その読者さんは、それ(感謝をもらう)を自分なりにやってみたけどうまくいかなかったので、
「これって感謝をもらうことになってるのか?」
「自分のためなのか?もしかして、自分のエゴなのか?」
と、大まかに言うと、そういう内容の相談でした。
で、僕がメール講座でお勧めしたのは、「自分から挨拶する」とか「運転中に道を譲る」とかそういう簡単なことだったんです。
その読者さんは、
【会話で感謝をもらう】
みたいな形のことととらえたんですけど、うまくいかないっていうことでしたね。
詳しい(相談)内容ははぶかなきゃいけないんですけど、こういう事なんです。
・・・
僕はどういう返信したかってのは、ここで詳しくしたいなと思います。
先ほど言ったように「挨拶するとか」なんですけど、そのメール講座の中でどういう具体例を挙げたか覚えてないんですが。
(ぼくが)大学に勤めてて掃除のおばちゃんとかとすれ違うんです。
そのおばちゃんが挨拶してくれるから、僕も自分から挨拶するようになった。
だから、挨拶して感謝をもらうことだから、自分からギブするということ。
だからといって、清掃員のおばさんおじさん全員に挨拶しているかと言うと、してるわけじゃないんです。
挨拶を返してくれそうな人に自分から挨拶するようになった、習慣的に。
そういうことなんです。
運転中に道を譲るのも100%やっているわけじゃなくて、いい感じに流れてて、急に止まると危険な場合はそういう危険を犯して道を譲ったりしないわけです。
止まれそうでゆっくり流れてるとか、そういう時に見計らって止まっているっていう感じなんです。
気をつけないといけないのは、「感謝をもらう」ってのはギブするわけで、ある意味、
【上から目線】
という、「与える」みたいな、親切の押し付けみたいな局面があるので、「さりげなさ」が重要なんです。
さりげないと相手が受け取ってくれない、と。
受け取れづらいことになっちゃうんです。
会話だと、そういうのは相手が受け取りづらくて、反応しづらいってことになっちゃうので。
だから、ほんと小さく小さくやってくるわけで、「挨拶する」とか「道を譲る」って本当さりげないことですから。
別に相手が感謝しなくてもいい、みたいな感じで、こちらも普通に受け止められるわけです。
【無理して感謝をもらおうとすることではない】
かなと思いますね。
・・・
もうちょっと具体的に、会話においてどういうケースがあるのかをお伝えしようと思います。
これは僕の例なんですけど、昨年、学会出張、仕事の出張で沖縄に行ったんです。
学会発表とか一通りおこなって、帰りに首里城を見学しようと思って後輩達と行ったんです。
首里城に行ったことある人は分かると思うんですが、去年の火災とかあったので、そこに入れなかったです。
首里城の近くの「ひょうたん池」ってのがあるんですけど、ひょうたん池入るとこの逆側からいって、アヒルとかたくさんいて、(ぼくらは)歩いて逆側の弁天堂まで行ったんです。
その手前のほうで、逆側から来た老夫婦がいて、その老夫婦が何か会話してて。
そこの池の周りは細い道が色々あって時々通行止めになってて、その時も通行止めになってたんです。
僕たちは折り返してきたんですけど、
「そこ行けないから、(池の)向こうはいけないね」
みたいな老夫婦がお互いに会話してて。
で、それを聞いた時に、僕が感謝をもらえって(メール講座で)言うぐらいですから、そこで(親切だと思って)
「あちらに行かれるんですか?ちょっと回り込めば、行けますよ」
みたいなことを反射的に、何か考えて言ったわけじゃないけど、話しかけたことになってるんで、いきなり声をかけちゃったんで、その老夫婦たちも驚いてたけど、
「ありがとうございます」
みたいな感じで、(形上はぼくは感謝をもらう)エクササイズができたということなんです。
けど、しばらく、我々は目的の弁天堂、池の中にある小さいお堂に行って戻ってきたら、初老夫婦とすれ違った。
どうしてかというと、(その老夫婦は)お礼までいってもらった目的地のところに行かずに、我々と同じ方向の弁天堂に来てすれ違ったわけです。
で、
「道案内したけど、行かないんですか?」
みたいな空気が。苦笑
お互いに言わないけど、そういう空気が流れた、という。
だから、エクササイズとしては失敗だったかなあ、と。
(老夫婦は)そんな気じゃなかったんですけど、「行けないよなあ」って(雑談として)言っていて、(ぼくが急に割り込んで)道案内して、わざわざお礼を言わせたっていう形になった。
細かく言えば、何が失敗かと言うと、老夫婦がたわいもなく、
「通行止めが多いから、行けないね。どうしよう?」
っていうたわいもない話をしてて、行く気はほとんどなかったかもしれないわけです。
そこを確かめずにいきなり見ず知らずの第三者(ぼく)が割って入って、それでびっくりさせて、さらにお礼まで。苦笑
別に行く気もない道案内させられて、お礼を言わされたっていう形に。
穿った見方をすれば、そういう形になったので、それがまずいかなーと。
だから、正しくやるというか、慎重にやるなら、
「もしかして、あちらに行きたいんですか?」
とか
「僕たちは通行止めだったので、向こうから迂回してきたんですよ」
みたいな軽い感じで話せばいい。
「アヒルがいるだけですよー」
とか、そういう話になって、軽い感じになってたかもしれない。
あるいは、その老夫婦が本当にそちらに行きたいのかをもうちょっとまって、行って戻ってきた辺りで声をかけた方がええんかな、とか。
そもそも池の向こう側に行くのに、見ず知らずの第三者がわざわざ声をかけて道案内するようこともなかったのかもしれない。
・・・
感謝もらうのも、ある意味、【押し付け】になる場合もあるので、さりげなさですね。
ギブするのは大事なんですけど、小さいギブ。
相手が受け取りやすい、反応しやすい、小さいギブ。
会話にいきなり入るとかいうのも、慎重になったほうが正解な場面がある。
という感じで、感謝をもらうエクササイズは非常に強力なんだけども、簡単なところで。
会話のところは本当慎重にやった方が、親切の押し売りみたいなことになるかもっていう。
そういう空気になりやすいので、そういう時はエクササイズする場合は気をつけて見てください。
はい、では終わりたいと思います。
ありがとうございました。